無関係な死に対する感情及び感覚発散の原因における考察
論文の副題みたいなタイトルだ
今日大学で瀕死になっている鳩をみかけた。
あたりは羽が散乱しており、大量ではないが血痕もあった。
原因はカラスである。鳩は首をもたげて苦しそうにしていた。
本当に死が迫っている危機的状態であった。
そこで私はまず、近くに構えているカラスを追い払った。
授業後でクリップボードを持っていたので、それを持ってぶっ叩くつもりで近付いたが
すぐに逃げられた。しばらくカラスはこちらを見ていたが何処かへ行ってしまった。
そして、鳩は動かなくなってしまった。
南無阿弥陀仏と手を合わせて、大学の事務へ連絡しその場を後にした。
その後、鳩はいなくなっていた。大学の方が対処してくれたようである。
話はここで終わるが、最初、その光景を見た時
自分はいくつか感情が生まれた。
一つは焦り。助けてあげなければいけない。という感情である。
これはわかる。だから上記のことをした。
二つ目は喜びである。これはなんだろうか。。
自分でもわからないがワクワクしたような気がした。
めったにない瞬間だから?
鳩を助けることができるから?
そして、助けることにより何か利益が降ってくると思ったから?
まるで浦島太郎の冒頭みたいに。結局助けることはできなかったが。
話の種になるから?
HEROになれるから?
HEROに関してはエゴでしか無い。
生物学的に珍しく間近で光景を観察できる状況であったから?
鳩の血をはじめてみたわけだし、そうではあるかも。
それとも、痛めつける強者、痛めつけられる弱者の光景をみて興奮したから?
家へ帰るときに考えたが候補はこれくらいであろうか。
なんとも言い難い出来事であった。